ワタナベ何があっても親だから



親に感謝できない私がおかしい
そんな言葉に縛られて、自分の気持ちを押し殺してきたことはありませんか。
私は28歳で毒親と距離を置く決断をしました。それまでの人生は、否定され続け、居場所がない感覚に悩まされる日々。
でも勇気を出して一歩踏み出したことで、ようやく“自分の人生”を生き始めることができました。
このサイトでは、私自身の体験をもとに、毒親との関係に悩む人へ「ひとりじゃないよ」と伝えたいと思っています。
はじめに|28歳で“毒親”から離れる決断をした私の話


28歳のとき、私は本当の意味でやっと実家を出ました。長年「親だから」という言葉に縛られてきたけれど、もう自分の心が壊れてしまいそうで、このままではダメだと強く感じたんです。
最初に家を出たのは23歳の頃。勢いで元カレの家に転がり込みました。



自分では「これで自由になれた」と思い込んでいたのに、いま振り返れば全然自立できていませんでした。
その後、元カレと別れて実家に戻ります。当時の私は、23歳の家出によって親に心配や精神的な苦痛を与えてしまったと考えました。
「迷惑をかけたから償わなきゃ」という思いを持っていた私は、家族分のほぼ毎日の外食費、小旅行にかかる費用を負担します。さらに毎月都内でひとり暮らしできるくらいの家賃は実家にいれてました。
それ以外に日常で発生する洗濯や料理などの家事も引き受けていました。
必死に親孝行を重ねることで自分の存在を肯定しようとしていて、不思議と「役に立てることが嬉しい」と感じる瞬間もあったんです。



でも、28歳で今の彼と暮らしたいと伝えたとき、両親から返ってきた言葉は「出ていくなら縁を切る」でした。
その瞬間に、長い間ごまかしてきた気持ちが一気にあふれ出し「ここに居続けても私は幸せになれない」と確信しました
もう“いい子”を演じるのをやめよう、そう腹をくくったのです。


これから書いていくのは、私が「毒親」から離れるまでの道のりです。



もしあなたが今、同じように悩んでいるなら、この体験が少しでも寄り添う光になれば嬉しいです。
あなたの心が少しでも軽くなるように、ありのままをお話ししていきますね。
“毒親”とは何か?|私のケースを通して見えた特徴


人によって受け取り方が違いますが、一般的な「毒親」は以下を指します。
- 子どもの人生を尊重しない
- 自分の価値観を押しつける
- 子どもをコントロールする
私の母も、まさにそうした特徴を持っていました。
表面上は優しく見えても、心を縛る言葉や態度が日常にあふれていたんです。
「支配」と「否定」で縛る親
母から投げかけられる言葉は、いつも私の自由を制限するものでした。



あなたも親になればわかるよ



その考え方、歪んでるよ



あなたがいいなら、まあいいんじゃない?(呆)
あからさまに怒鳴られるわけではないのに、見えない縄で縛られるような感覚でした。
やりたいことを口にすると「やるべきことをやってからにしな」と返され、具体的にどうすればいいか尋ねても「それは自分で考えな」と突き放される。
結局、挑戦する気持ちを何度も削がれてきたのです。これが、私から母に対してお伺いを立てる原因になりました。
一見普通の親に見えるが…
外から見れば、母は子どもを応援する「よき母親」でした。学校行事にも参加してくれてたし、周囲からも「家族仲良しだね」と言われることは多かったです。
でも実際には、私のやりたいことはことごとく否定されてきました。
大人になってから妹に「姉のやりたいことは全部止められてたって印象ある」と言われたとき、改めて「ああ、私だけの思い込みじゃなかったんだ」と気づきました。
外と内のギャップこそが、私を一番苦しめていたのかもしれません。
親の言葉が心を蝕んでいた
いつからか、母の言葉を浴び続けるうちに「自分の考えはきっと間違っている」と思い込むようになります。
- 何を決めるにもまず母に聞くのが習慣になった
- 母が「違う」と言えば、それが世間的にも不正解なんだと信じた
- 自分の判断より母の言葉のほうが絶対的に正しいものになった
小さい頃は、母の言う通りにしてうまくいかないと「ママが言ったのに違うじゃん」と口にしたこともあります。その後からでしょうか、母は「私にばっかり聞かないで」と突き放すようになりました。



表面上は“考える力をつけさせるため”のように聞こえるけれど、実際には否定の色が強かったように思います。
積み重なっていくなかで、心の奥には「私はダメな人間だ」「どうせわかってもらえない」という感覚が広がっていきました。
母に合わせるほど自己肯定感は小さくなり、次第に自分の意見を持つことすら怖くなっていったんです。
離れる決意が固まったきっかけ


些細な一言が限界を超えた瞬間
28歳のとき、今の彼との同居を伝えたときに返ってきたのは「出ていくなら縁を切る」という言葉でした。その瞬間、胸の奥で何かがはじけるように冷めた気持ちが広がりました。



ああ、どれだけ尽くしても、私の意見は最後まで尊重されないんだ
今までだって理不尽な否定は何度も受けてきたけれど、当時の自分には至らない部分もあるし、母なりの正しさがあると必死に自分を納得させてきました。
けれど、今回は理由もないただの「絶縁」。そこに親としての愛情も筋も感じられず、呆れるしかありませんでした。
本来なら、反対はしても「それでも子どもが決めたなら応援する」というのが親の姿だと思います。
まったく賛成できない理由があるとしても、絶縁をちらつかせる必要はありません。「結局コントロール欲は消えないのか」と思わざるを得ませんでした。
しかも“母本人はそれを支配だとすら気づいていない”という事実にも気づいてしまったんです。
怒りや呆れの感情の奥で、静かに芽生えたのは疑問でした。



私はずっと親のために生きてきて、この先も同じことを繰り返すの?
心の奥では答えが出ていたのに、ようやく言葉にできた瞬間でした。
相談できた人、できなかった人
このことを友達に打ち明ける気持ちは最初からありませんでした。そもそも数も多くないし、あまりにも重い話だと思ったからです。
ちなみに今お付き合いしている彼氏にすら、長い間、言い出せませんでした。



親を大事にできないなんて呆れられるかもしれない



嫌われるんじゃないか
毒親育ちという背景もあって、精神科にいけば「不安障害」と受診されることがわかりきっているような日常を送っています。
結局、心の中で抱え込む時間が長く続き、ひとりで押し潰されそうになっていました。
実際に毒親と距離を置くまで


親と離れると決めても、すぐにすべてを断ち切れるわけではありません。
家を出てからも、何があるかわからないのでLINEは通じるようにしていました。ただ連絡は必要最低限に留め、日常のやり取りに踏み込ませないよう意識していました。
巷では「毒親は帰ってくるように促す」という特徴のある人もいるみたいですが、私の母はそのタイプではなかったのが救いです。
当時、唯一会っていたのは妹でした。
過去に彼女自身も毒親ぶりに耐えられず家を出た経験があり、私に対して理解を示してくれていたからです。
※今では妹とも絶縁状態です。
同じような痛みを共有していたからこそ、あのときは心強かったし、少しだけ救われた気がしました。
金銭・住居・仕事などの自立準備をする
よく「家を出るのはお金が大変」と言われますが、私の場合はシンプルです。
家を出るとき、私はほとんど手荷物だけを持って彼の実家に向かいました。そのおかげで引っ越し費用もかからず、家具や家電をそろえる必要もありませんでした。
フリーランサーでパソコン1台あれば完結できる仕事だったこともあり、経済的にも大きな壁はなかったんです。
もちろんそれがすべての人に当てはまるわけではないけれど「必ずしも大掛かりな準備が必要じゃない」というのは伝えておきたいことです。



大事なのは条件を整えることよりも「出よう」と心を決めることだったと今は思います。
怖さと罪悪感を乗り越える
家を出るとき、いちばん大きかったのは罪悪感でした。
新しい環境に入ること自体は得意なほうで、むしろワクワクしていたくらい。彼の両親と仲良くできるかどうかくらいしか不安はありませんでした。
怖さも特にありません。
それでも「これで家出は2回目だし、もう“家族”としては戻れないんだろうな」という感覚が心のどこかにずっとありました。
そんな気持ちを支えてくれたのは、彼の存在でした。
私の言葉を否定せずに受け止めて「やりたい」と口にしたことを一緒に楽しんでくれる。
その姿に触れるたびに、心の奥で固く閉ざしていたものが少しずつほどけていくのを感じました。



今まで「どうせわかってもらえない」と思ってきた私が「この人の前ならありのままでいてもいい」と思えたのは、人生で初めてのことだったと思います。
その瞬間、私ははっきりと気づきました。これから守りたいのは親に認められる自分ではなく、この人と笑い合える自分なんだと。
罪悪感に押しつぶされそうになりながらも「私はこの人と生きていきたい」という思いが、前に進む力を与えてくれたのです。
それでも迷いが出てくるときは「今回ばかりは、私に悪いところはない」と自分に言い聞かせていました。これまでずっと「私が悪い」と思い込んできたけれど、その言葉だけは自分を守ってくれたと思います。
離れて初めて分かった“本当の自分”


家を出て自由になったはずなのに、すぐに心が軽くなったわけではありませんでした。



半年以上たっても、自分の考えを「これで正しい」と思えない感覚が残っていたんです。
母に否定され続けてきたからか「自分の考えなんてどうせ否定されるだろう」と頭が先回りしてしまう。
だから行動に移せないことが多くありました。
すでに生活の軸は彼との暮らしに移っていたけれど、その中でも自分の気持ちを素直に出すのがとても難しかったんです。
あるとき、ちょっとしたすれ違いがありました。私の中ではどうしても引っかかっていて、言わなければ関係が壊れてしまうように思えたできことでした。
けれど言葉にしようとすると涙が止まらなくなってしまって「これを伝えたら嫌われるかもしれない」「終わりになってしまうかもしれない」と恐怖でいっぱいになったんです。
震えながら、それでも必死に言葉をつなげて彼に思いを伝えました。
彼は驚いた顔をしたけれど、否定はしませんでした。ただ黙って聞いてくれて、最後には「言ってくれてありがとう」と言ってくれた。その瞬間、胸の奥にこびりついていた「私はどうせ否定される」という思い込みが、少しだけ揺らいだ気がしました。
そしてようやく、自分の人生を「誰かに認められるため」ではなく「自分のため」に選ぼうと思えるようになったんです。



長い間、母の価値観に縛られて「自分を優先するのはわがまま」と思ってきたけれど、今は違います。
これこそが、私が取り戻した“本当の自分”でした。
フラッシュバックや夢に出てくる親
最近、こんな夢を見ました。
実家に“呼び戻されて”いるのに、私だけご飯も寝床も用意がない。仕方なくカップラーメンにお湯を注ぎながら「どうして私を呼び戻したの?」と母に聞く。返ってくるのは「なんで帰ってきたの?」の連呼。
妹は母と目を合わせてニヤニヤし、内輪だけで分かる合図を回す。父は「車で寝ればいいじゃないか」と、的外れな“優しさ”を差し出す。
目が覚めても残るのは、怒りでも悲しみでもない“虚無”。そして気づきました。これは偶然の夢ではなく、現実の配置をそのまま映した夢だと。
攻撃する母、共犯のように空気を読んで笑う妹、ズレた優しさで関与しない父。
私の目に映ってきた立場関係が、そのまま夢の舞台装置になっていました。だからこそ、夢から覚めても体の奥に嫌な感触が残るのだと思います。
世間や親戚の“普通”とのギャップ



親は大切にしなきゃ



親に感謝できないのは甘えてる
普通に生きていると、そう言われる場面が多々あります。
どうして“甘え”にされやすいのか。私が感じている理由は、いくつかあります。
- 親孝行の規範が強い
親を敬うのが当たり前、という文化の重さ。そこから外れると、まず疑われる。 - “しつけ”と“支配”の線引きが曖昧
境界を越えたコントロールも「教育」に包まれると正当化されやすい。 - 虐待のイメージが狭い
殴る・食事を与えない等だけが“虐待”だと思われがちで、言葉・無視・嘲笑などの見えにくい暴力は軽く見られる。 - 経済的自立バイアス
子ども側が完全自立していない時期に語ると「依存しているのに文句を言うのは甘え」と切り捨てられやすい。 - 外面の良さ
周囲は“いい親”の顔しか知らない。子どもが訴えても、親の評判が証拠のように扱われる。 - 言葉の響き
「毒親」という語自体が強く、親攻撃だと受け取られやすい。
こうした要素が重なると、子どもの経験は「主観」扱いになり、すぐ“甘え”の箱に入れられてしまう。
でも、傷ついた事実は消えません。
境界線を引くことは親を“裁くため”ではなく、自分の心身を守るための行為です。
私はそう理解しているからこそ、“距離を取る選択=正しい自己保護”と受け止められるようになりました。
同じ悩みを抱えるあなたへ|過去の私からのメッセージ


もし今、あなたが親との関係に苦しんでいるなら、あの頃の私と同じ場所に立っているのかもしれません。
どれだけ頑張っても認めてもらえず、気づけば「私が悪いからだ」と自分を責めてしまう。心のどこかで「親だから仕方ない」と諦めている。



それでも、あなたはずっと「このままでいいのかな」と問い続けているのではないでしょうか。
「親だから」と我慢しなくていい
かつての私は「親だから、逆らってはいけない」「親だから、感謝しなきゃ」と思い込んでいました。
でも、どんなに名前を変えても、支配や否定は暴力と同じです。
あなたが感じている息苦しさは、決して“甘え”ではありません。我慢し続けなくてもいいのです。
自分の幸せを最優先してもいい
「自分を大切にするなんて、わがままじゃないか」私はずっとそう考えていました。でも、本当は逆でした。
自分の幸せを守ることは、自分にしかできない責任です。
誰かの顔色をうかがって生きるのではなく、自分が安心できる環境を選んでいいんです。
あなたの人生はあなたのもの
私が29歳で実家を離れたように、人生の選択に「遅すぎる」はありません。
あなたの人生は、あなたが自由に舵を取っていいものです。



たとえ小さな一歩でも、それを選んだ時点で、あなたはすでに自分の人生を生き始めています。
そして、ここまで書いておきながら、私自身もまだ揺れるときがあります。夢に親が出てきたり、世間の「親を大切にするのが当たり前」という声にざわついたり…。
それでも、少しずつ自分の気持ちを大切にできるようになってきました。
完璧に割り切れていなくてもいい。
一緒に揺れながら前を向いていければ、それで十分だと思っています。
どうか、自分の心を最優先にして歩んでください。私は心から、あなたの未来を応援しています。












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